2008年 1月17日 全日本教職員組合 中央執行委員会
中央教育審議会(以下、中教審)は、1月17日に総会を開催し、「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について」答申(以下、「答申」)をまとめ、文部科学大臣に提出しました。
「答申」は、中教審教育課程部会の「審議のまとめ」とほとんどかわらないものとなっています。全教は11月に出された「審議のまとめ」の際にも、教文局長談話で見解を述べていますが、「答申」にあたり、あらためて見解を明らかにするものです。
第1は、改悪教育基本法、教育改悪3法強行後はじめての学習指導要領改訂であり、国家による教育に対する管理統制をいっそう強めるものとなっていることです。
政府・文部科学省は、1958年以来、文部大臣による官報告示行為をもって学習指導要領には「法的拘束力」があるとして、学校現場への押しつけを強めてきました。「答申」では、これに加え、文部科学省が「重点指導事項例」を提示するという、これまでになかった方向を示しており、学習指導要領に「重点指導事項例」を加えた二重の拘束を強めようとするものです。
それに加えて、「学校や教師は指導の説明責任だけではなく、指導の結果責任も問われている」として、教師に指導の結果責任まで負わせ、これを「教育課程におけるPDCAサイクルの確立」と学校に対する「カリキュラム・マネジメント」の押しつけによって、日常的にチェックさせるとともに、全国一斉学力テストにチェック機能を果たさせようとするものです。
そのうえ、これに「学校評価」「教職員評価」を組み合わせ、教職員と学校の教育活動をチェックするしくみをつくり、本来学校がおこなうべき教育課程づくりを、教育行政をとおした文部科学省による教育課程管理の強化と教育内容、教育活動に対する統制強化という方向で、学校の教育活動を拘束しようとするものであり、重大な問題点を持っています。
さらに、「答申」は、「審議のまとめ」に加えて、「なお、中央教育審議会としては、新しい学習指導要領等が…円滑かつ確実に実施されるよう注視する必要がある…教育課程部会は引き続き中央教育審議会に常設し、審議を重ねることが適当と考える」という文言を追加しています。これは、学校で学習指導要領に沿った教育がおこなわれているかどうかを、教育課程部会の常設化によって点検し、監視することを強化するものといわなければなりません。
第2は、「愛国心」押しつけをはじめとする「徳目」の押しつけによって子どもたちの内心の自由を侵害し、教育の目的を変質させるおそれを強く持つものです。
「答申」は、「審議のまとめ」と同様に、「徳育の教科化」は打ち出さず、両論併記としています。しかし、その後のヒアリングやパブリックコメントの結果等についての記述の追加の中で、事実に反して「道徳教育を充実・強化すべきという認識では一致している」として、「学習指導要領の趣旨をふまえた適切な教材を教科書に準じたものとして十分に活用するような支援策を講ずることが考えられる」と述べています。
このことを根拠に、学習指導要領では、改悪教育基本法第2条に入れ込まれた「国を愛する態度」をはじめ、「伝統と文化の尊重」などの徳目や、学校教育法第21条に入れ込まれた「規範意識」などを道徳や教科の目標とする強い危険性があります。また、これらの徳目が「重点指導事項例」で示されて押しつけられる可能性も残されています。
第3は、教育における格差づくりをいっそうすすめようとするものです。
「答申」は、学習指導要領の枠にとらわれない教育活動をすすめる学校を、これまでの研究開発校、特区研発に加えてつくりだすしくみをつくり、一部のエリート育成をすすめるとともに、「重点指導事項例」を指導の最低限のラインとしても機能させ、「できる子」「できない子」の格差づくりを前提とした教育をすすめようとしています。
また、「答申」は、いわゆる「はどめ規定」を取り払う方向を示していますが、これにかかわって「発展的な内容」を「すべての子どもに指導するべき事項ではない」とあらためて強調しています。これは、「できる子」には「発展的な内容」を「できない子」には、「最低限の内容」をという差別・選別の教育をすすめようとするものであり、教育の格差づくりにほかなりません。
第4は、子どもたちにいっそうの学習負担を強いるものとなっていることです。
「答申」は「審議のまとめ」と同様に、現行学習指導要領で削除された教育内容を大幅に復活させています。これは、「審議のまとめ」の時点でも指摘したように、現行学習指導要領に対する「削減すべきものを削減せず、削減してはならないものを削減している」という教育現場からの批判や、教育内容削減についての日本物理学会、数学会等からの批判を反映したものです。
しかし、学校週5日制部分実施であった現行学習指導要領以前の教育内容を、完全学校5日制であるにもかかわらず、ほぼそのまま復活させているために、結果的にはさらにつめこみとならざるを得ない重大問題をもっています。このことから私たちは、ヒアリングにおいても、最終答申にむけて、教育内容の精選と構造の組み換えを強く要求してきましたが、「答申」はそれにまったくこたえるものとなっていません。
これでは、1時間の授業内容がさらに過密になることは明らかであり、そのことによって子どもたちの学習負担はいっそう増大せざるをえません。
このこととかかわり、授業時数増も大きな問題です。私たちは、「審議のまとめ」の段階から、とりわけ小学校低学年における週2コマの授業時数増は、小学校1年生で毎日5時間授業ということになり、発達段階から見ても、どうしても無理が生まれると指摘し、再考を求めてきましたが改善されていません。学習負担の物理的増加が、低学年から学校嫌いや勉強嫌いを生み出すことになりかねません。
第5に、「答申」は、上述してきたことをふくめ、全体として現場の声を反映せず、国民的合意をふまえたものとなっていないことです。
私たちは、中教審のおこなったヒアリングで上記の問題提起をはじめ、小学校段階からの外国語教育についても、国民的に安定した合意を得られていないものであり、拙速におこなうべきではないということを、伊吹文明前文部科学大臣が小学校からの外国語教育について、否定的見解を示していたこともふくめ、意見表明し、抜本的な見直しを求めましたが、これらの意見について、まともに再検討した形跡は見られません。
現場の実態や、国民的合意を軽視して改訂学習指導要領が作成されるならば、早晩、また父母・国民、教職員との間で新たな矛盾を引き起こさざるを得ないことは明らかです。
第6に、「答申」は上記の重大な問題点を持ちつつも、現行学習指導要領路線の破綻を示すものです。
「答申」は、現行学習指導要領の「目玉」であった「総合的な学習の時間」を1時間削減しました。また、中学校「選択教科」については、「審議のまとめ」にあった「総合的な学習の時間の一部を充て得るとすることについて引き続き検討する必要」という文言を変更し、「標準授業時数の枠外で各学校において開設しうることとすることが適当である」と述べ、実質的な中止の方向を示しました。
「総合的な学習の時間」については、現行学習指導要領が明らかにされた段階から、現場から、この「時間」のねらいが、子どもたちの認識形成を軽視し、体験主義に流し込むことにある、として厳しい批判が寄せられていました。そして、現行学習指導要領の実施にあたっては、各学校では、この「時間」を子どもたちの認識と体験をむすびつける総合学習の立場から活用したり、教科学習と関連させたとりくみを創造したりするなど、さまざまな努力をおこなってきました。今回の「総合的な学習の時間」の削減は、こうした現場の努力の蓄積が「総合的な学習の時間」のねらいを破綻させてきたことを意味します。
また、中学校の「選択教科」についても、現場からは、子どもたちを義務教育段階から差別・選別するもの、という厳しい批判が寄せられていました。学習指導要領の実施にあたっては、学習集団の解体を避けて、1クラスを2分割して講座を開設するなど、差別・選別のねらいをゆるさぬとりくみがすすめられてきました。同時に、選択教科の拡大が条件整備抜きにおこなわれてきたため、教職員をいっそう多忙に追い込んできたことも一方の事実であり、このこともあいまって、実質的に中止に追い込まれたものです。
こうした重大な問題点と矛盾をはらんだ「答申」ですが、「答申」自体、学習指導要領を「大綱的基準」と述べ、現行学習指導要領同様に、「学校は…教育課程を編成する」という文言を残しています。
このことは、いかに改悪教育基本法の具体化としての「答申」といえども、教育の条理をまったく無視することができないという事実を示すものです。
私たちは、文部科学省に対し、学習指導要領改訂にあたっては、これまで述べてきた「答申」の持つ重大な問題点について、真剣に再検討することを強く求めるものです。そして、学習指導要領を大綱的基準として、子どもの実態や地域の実態にもとづく教育現場の教育課程編成を尊重することを強く求めるものです。
子どもの学力の問題をふくめ、子どもたちを人間として大切に育てる教育・学校づくりをすすめることは、父母・国民のみなさんの根本的な教育要求にこたえることであり、私たちは、そうした学校づくりに全力をあげるものです。そのため、一つひとつの学校からの教育課程づくりは、きわめて重要な課題です。
子どもたちのすこやかな成長のために、一つひとつの学校から、子どもの実態をふまえ、父母・住民のみなさんとよく話し合って、教育課程づくりのとりくみをすすめることを組合員をはじめ、すべての教職員のみなさんに呼びかけるとともに、そうした「参加と共同の学校づくり」が前進するよう力をつくすものです。