2007年11月 7日 全日本教職員組合 教文局長 山口 隆
中教審教育課程部会は11月7日、初等中等教育分科会との合同会議を開き、「教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ(案)」(以下、中間報告)を了承しました。中間報告は、基礎・基本に加えて活用力を強調するとともに、現行学習指導要領において削減した教育内容のほとんどを復活させること、それにともなって教科の授業時数を小中学校ともに増加させること、「総合的な学習の時間」の週1時間の削減、中学校選択教科の「総合的な学習の時間」内での実施など、現行学習指導要領を大幅に手直しするものとなっています。
中間報告は、改悪教育基本法強行、教育改悪3法強行後はじめての学習指導要領改訂にむけてのものです。とりわけ改悪教育基本法第2条に「国を愛する態度」をはじめとする「教育の目標」を入れ込み、学校教育法第21条に義務教育の目標として同様の文言と、それに加えて「規範意識」を入れ込んだことが、学習指導要領によって具体化されるならば、子どもたちの内心の自由への重大な侵害となるとともに、子どもたちへの管理統制を強化するものとなる危険性を持っています。
事実、社会科の目標では「改善の基本方針」として「わが国の国土や歴史に対する愛情をはぐくみ、日本人としての自覚をもつ」と述べ、小学校の「改善の具体的事項」には、「地域社会や我が国の国土、歴史などに対する理解と愛情を深め」とされており、「愛国心」押しつけに対する重大な懸念があります。
一方、道徳の教科化については、異例の両論併記という形で見送ったものの、道徳教育の充実については言及されており、これを使った「愛国心」や「規範意識」の強化は断じておこなってはなりません。最終答申に向けては、これらについて、憲法第19条、23条、26条を踏まえたあらためた検討を求めるものです。
中間報告は、文部科学省が「重点指導事項例」を提示するという新たな方向を示しました。「重点指導事項例」がどのようなものになるかは、中間報告を読む限りでは、なお不透明なものです。文部科学省は、これまでも学習指導要領には「法的拘束力」があるとして、教育現場に押しつけ、教職員の闊達な教育活動を押さえ込んできました。それに加え、「重点指導事項例」によってさらに拘束を強めようとするのならば、二重の管理統制の強化であり、断じておこなってはなりません。
その一方で、中間報告は、「現場主義」として学習指導要領の拘束を受けない学校を、これまでの研究開発校や特区研発に加え、さらに増やすということを述べています。これが教育行政の認知する「できる学校」に対して適用され、そうでない学校には、「重点指導事項例」による最低限の拘束がかけられるということであるのならば、そもそも学習指導要領がすべての子どもを対象にしたものではないことを意味するものとなります。これは、学習指導要領そのものが子どもと学校の序列化、格差づくりをすすめるものとなり、きわめて重大です。解明を求めたいと思います。
教育内容の復活については、現行学習指導要領に対する「削減すべきものを削減せず、削減してはならないものを削減している」という教育現場からの批判や、教育内容削減についての日本物理学会、数学会等からの批判を反映したものであり、教育の条理と現場で実際にとりくまれている教育活動が、中教審を動かしたという点で重要です。
しかし、学校週5日制部分実施であった現行学習指導要領以前の教育内容を、完全学校5日制であるにもかかわらず、ほぼそのまま復活させているために、結果的にはさらにつめこみとならざるを得ない重大問題をもっています。そうなれば、1時間の授業内容がさらに過密になることは明らかであり、そのことによって子どもたちの学習負担増を強いるものとなる危険性があります。最終答申にむけて、さらに教育内容の精選と構造の組み替えを求めるものです。
中間報告は、全国一斉学力テストの結果も引きながら、子どもたちの「活用力」に課題があるとして、「活用力」を強調するとともに、「知識・技能の確実な習得」が重要として、「スパイラル」を強調しています。
基礎的な知識を活用する力そのものは重要であり、現場では子どもたちが確かで豊かな学力を身につけることができるようにと、子どもの知的好奇心や、自主性、自発性を大切にしながら、さまざまな実践がおこなわれています。しかし、それは押しつけるべきものではなく、多彩に展開されている実践を豊かに交流することをとおして、すすめるべきものです。学習指導要領によってこれを現場に押しつけようとすれば、「『活用力』を教え込む」という本末転倒の事態にもなりかねず、大きな問題です。
また、「スパイラル」は具体的な教科にかかわっては、小学校の算数の項にしか述べられていません。ここからイメージされるのは、計算などの反復練習です。現場では、計算力の定着のために子どもの学習意欲を大切にしながら、繰り返し練習するとりくみもおこなわれており、それ自体は重要なことです。そして、その方法は子どもの実態に応じて多様におこなわれています。ところが、指導の方法まで画一化して学習指導要領に規定することになれば、まさに、無味乾燥な反復練習が押しつけられることになり、子どもの豊かな学びの妨げになる危険性さえあります。
教科の授業時数増については、子どもたちの学習負担が物理的に増加し、それが学校嫌いや勉強嫌いの増大につながらないかという大きな問題があります。とりわけ小学校低学年における週2コマの授業時数増は、小学校1年生で週25時間、毎日5時間授業ということになり、発達段階を考慮するならば、どうしても無理が生まれるのが当然ではないでしょうか。
中間報告では授業時数の国際比較もおこない、学力「世界一」とされるフィンランドの授業時数は、日本よりも少ないと述べているにもかかわらず、その他の国々も引き合いに出して、結論的には「単純に比較できない」として、授業時数増を正当化していますが、子どもたちの学習負担増を強いることのない検討が求められます。教育内容のつめこみとともに、授業時数の物理的な増加による学習負担増によって、学校嫌いや勉強嫌いが生まれる危険性があり、上述した教育内容の精選と一体に、再考することが求められます。
「総合的な学習の時間」は週1コマ削減するとしています。もともと私たちは、この「時間」のねらいが、子どもたちの認識形成を軽視し、体験主義に流し込むものとして厳しく批判してきました。現行学習指導要領の実施にともなって、各学校では、この「時間」を子どもたちの認識と体験をむすびつける総合学習の立場から活用したり、教科学習と関連させたとりくみを創造したりするなど、さまざまな努力をおこなってきました。今回の「総合的な学習の時間」の削減は、こうした現場の努力が中教審を動かしたものといえます。同時にそれは、「総合的な学習の時間」のねらいの破綻を意味するものであり、これまでこの「時間」を使って各学校がとりくんできた実践の蓄積を大切にして、教育課程の民主的編成のとりくみをすすめることが重要です。
また、中学校の選択教科の「総合的な学習の時間」内の実施については、いったんその方向を打ち出していたものの、「引き続き検討」とされました。そもそも中学校段階からの選択教科実施には現場からの厳しい批判が出されていたものです。現場の要望にそった対応が求められます。
中間報告は、小学校での英語教育として「総合的な学習の時間」や特別活動以外に「外国語活動」を小学校5・6年で週に1コマおくとしています。小学校での英語教育については、その是非をめぐって、国民的にも、教職員からも議論のあるところであり、安定した合意を得られているとはいえません。また、指導者については「学級担任を中心」としていますが、小学校の教員は、そのほとんどが英語教育の免許を保有していないものであり、条件整備抜きでの実施は、現場での手探り状態を引き起こし、ひいては子どもたちを英語嫌いにしてしまう危険性も持っています。そうした状況を踏まえ、小学校での外国語教育については再考すべきです。
障害児教育にかかわって、中間報告は、特別支援学校の教育目標について「学校教育法における特別支援学校の目的の改正を踏まえ、特別支援学校の学習指導要領等の目標を見直す」とし、「特別支援学級、通級による指導に係る特別の教育課程の編成に当たっては、特別支援学校学習指導要領に定める事項を取り入れた教育課程を編成する」としています。これは、障害児教育に対しても、これまで以上に学習指導要領の拘束を強め、国家が定める目標にもとづく教育をすすめようとするものといわなければなりません。また、高校の教育課程については全体としてほぼ現行どおりとしていますが、高校は、すでに現行学習指導要領において、規制緩和の名のもとに大幅な「弾力化」をすすめ、すべての高校生への基礎学力保障という点では大きな問題があるものへと改悪されており、中間報告は、基本的にこの路線を踏襲したものといわなければなりません。
中間報告は、教育課程部会としては異例の教職員定数の改善に言及しています。これは、過労死ラインを超える長時間・過密労働の実態にある現場からの切実な願いの反映であり、教職員定数改善は当然おこなわれるべきです。しかし、中間報告は、それを「主幹教諭による学校マネジメント機能の一層の強化や教師の事務負担の軽減、習熟度別・少人数指導の充実」などと限定しています。こうしたやり方は、現場の願いと大きくかけ離れたものであり、教職員定数の抜本的な改善をあらためて強く求めるものです。
最後に、いくつかの重要な問題点について指摘しておきたいと思います。
第1は、現行学習指導要領に対する反省がないということです。これまで述べてきたように、中間報告は現行学習指導要領からの明らかな方向転換を示すものとなっています。「総合的な学習の時間」についても、現場ではこれをまとめどりし、子どもの成長・発達に役立つようにとさまざまな努力もされてきたにもかかわらず、これを週3コマを時間割に入れよと、教育委員会をとおして現場に強要してきたのは、ほかならぬ文部科学省ではなかったでしょうか。ところが、今回は「総合的な学習の時間」を削減するとしているのです。これまで現場に強要してきたことを反省して当然ではないでしょうか。
また、教育内容についても、現場では削減された中身についても、学級で、学年で、学校で、親と話し合い、子どもたちに確かな学力を身につけさせるためには削減せずにおこなうという合意をつくりだしてとりくんできた学校も少なくありません。今回、削減した教育内容を復活させるならば、これについても反省があってしかるべきではないでしょうか。
さらにゆるせないのは、「教師に指導を躊躇する傾向がある」として、現場教師に責任を転嫁してきていることです。文部科学省による「新学力観」の押しつけのもとで、「『指導案』ではなく、『支援案』と書け」とか、「教師は指導してはならない」と「指導」してきた指導主事など、各地で教師に指導放棄を迫る事態を作り出したのは、ほかならぬ文部科学省ではなかったでしょうか。これについては、猛省を求めたいと思います。
現場を振り回すのもいい加減にしてほしい、というのが、教育現場の率直な声です。この問題の根本に、文部科学省が1958年以来、学習指導要領の官報告示をもって「法的拘束力」があるとして、現場に押しつけてきているという大問題があります。あらためて学習指導要領を大綱的基準として、子どもの実態や地域の実態にもとづく教育現場の教育課程編成を尊重することを強く求めたいと思います。
以上のことから、教育課程の民主的編成のとりくみはいよいよ重要です。一つひとつの学校が子どもの実態を踏まえ、子どもたちに豊かな学力をはじめ、人間的な成長をはかることができる教育課程を、父母と話し合い、合意をつくってとりくむことが切実に求められています。「参加と共同の学校づくり」の重要課題に教育課程づくりをおいて全力をあげてとりくもうではありませんか。全教は、そうしたとりくみがすすむよう力をつくすものです。