2007年 4月 3日 全日本教職員組合中央執行委員会
安倍内閣は、3月30日、学校教育法、教育職員免許法及び教育公務員特例法、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の「一部を改正する法律案」(以下、教育改悪3法案)を閣議決定し、国会に提出しました。
この教育改悪3法案は、中教審答申をほぼそのまま踏襲した改悪教育基本法の具体化であり、教育をよくしてほしいという父母・国民の願いにそむき、全体として国家権力による教育に対する介入・干渉をさらに強め、国家による教育支配をねらうものです。
学校教育法では、3つの大問題があります。
第1は、義務教育の目標に「国を愛する態度」=「愛国心」をはじめ、改悪教育基本法第2条の徳目を入れ込み、学校教育に押しつけようとするものです。改悪教育基本法をめぐる論議でも、愛国心を法律で決めて押しつけることは、憲法第19条が定める内心の自由に違反するということが国会論戦でも厳しく指摘されました。国会ではいわゆる「愛国心通知表」が問題となり、小泉首相(当時)は、「これ(愛国心)を評価することは難しい」と答弁し、小坂文部科学大臣(当時)は、「愛国心にABCをつけるなど、とんでもない」と答弁していたものです。改悪教育基本法は強行されましたが、国会論戦の到達点は、「愛国心」を法律で決めて押しつけることは、憲法第19条に違反する、というものです。したがって、これをさらに学校教育法に位置づけることなど、やってはならないことであり、重大な憲法違反です。ところが、自民党の中川昭一政調会長は、「教育基本法に明示されたものを、学校教育法で具体化し、学習指導要領に明記する」「学習指導要領で国旗・国歌を教えなければいけないのに、一部の先生方がルールを守らない。これはなんとしても排除しなくてはいけない」(4月1日NHK「日曜討論」)と述べており、そのねらいは、改悪教育基本法、学校教育法改悪法案、学習指導要領という三重の押しつけのしくみをつくって、子どもに愛国心を強制することにあることは明らかです。
教育のいとなみの中心点は、理解と納得であり、それは近代民主主義の大原則である、内心の自由の尊重に基礎をおくものです。憲法第19条が規定する内心の自由を蹂躙することは、教育のいとなみの中心点を崩し、強制という、教育とは無縁の手段で、子どもたちを教化しようとするものです。しかも、政府が押しつけようとしている「愛国心」は、最近の従軍慰安婦をめぐる安倍首相の発言に明らかなように、アジアにおける日本の侵略を認めないという立場に立つ、きわめて偏狭で特異なものであり、国際社会からも孤立する重大なものです。このような「愛国心」を子どもに強制することは、子どもたちの成長発達にとって、きわめて有害であるばかりでなく、子どもたちが国際社会で生きていく道を閉ざしかねない大問題を持つものです。
また、幼稚園の目標に「規範意識の芽生え」を入れ込んでいることも、看過できません。これは、幼い時期から上から押さえつけて、子どもを鋳型にはめこむ危険性をもつものであり、子どもの人間的な成長発達を保障するうえで、大きな問題です。
第2は、副校長、主幹教諭、指導教諭という新たな職をつくり、これを学校教育法に位置づけるものです。これは、学校現場に新たな上意下達の体制をつくるものであり、教職員が力をあわせて教育活動にとりくむことを困難にするものです。子どもたちの「荒れ」や「学級崩壊」と呼ばれるような事態を含め、学校にはさまざまな教育困難が存在しています。これを解決するためには、教職員が一人で問題を抱え込むのではなく、校長を含め、教職員みんなが知恵と力を出し合い、力をあわせて教育活動にとりくむことが強く求められています。新たな職の設置による上意下達の体制づくりは、現実にある教育困難の解決に逆行するものであり、断じて行うべきではありません。
また、私たちは中教審が行ったヒアリングで、「教職員の数を増やさず、そのうえ授業を持たない職や授業を持つ時間が極端に少なくなる職を新たにつくれば、教職員はますます過重負担となり、多忙化に拍車をかけることは、火を見るよりも明らかです。こんなことをすれば、現場教職員から激しい怒りの声が寄せられることは間違いありません」と指摘しました。法案のように管理職ばかり増やして直接子どもの教育に携わるものの負担増を行えば、子どもの教育にとって否定的影響を与えることは明らかです。
いま、教育現場に必要なことは、こうした新たな管理職づくりではなく、子どもたちにゆきとどいた教育をすすめるための条件整備として、国の責任で30人学級を実施すること、文部科学省の調査によっても月80時間を超える超過勤務の実態を教職員の数を増やすことによって解消すること、教職員が自主性を発揮して闊達に教育活動にとりくめるよう、教育現場の自主性を尊重する教育行政に転換すること、などです。教育予算も増やさず、教職員の数も増やさず、新たな中間管理職をつくっても、現場の困難は増大するばかりです。
第3は、「努力義務」としてはいるものの、「学校評価」を学校教育法に位置づけ、学校の自主的な教育活動を拘束し、国家権力のいいなりの学校づくりをねらっていることです。改悪法案は「幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校及び特別支援学校は、文部科学大臣の定めるところにより当該学校の教育活動その他の学校運営の状況について評価を行い…教育水準の向上に努めるものとする」としています。これは、文部科学大臣の定める基準で学校の教育活動を「評価」せよ、というものであり、国家権力による学校評価をあからさまに示すものです。これは、全国一斉学力テストの実施、その結果公表と一体に、教育行政による「学校評価」を強化し、学校に対する管理統制を強化しようとするものです。
教育職員免許法改悪では、教員免許に10年という有効期限を設け、10年ごとに更新講習を受けさせ、修了が認定されなければ、免許を失効させ、教員を失業させるという教員免許更新制を新たに導入するとしています。しかも現職教員にかかわっては、その保有する教員免許は終身有効であるにもかかわらず、これを「有効期限の定めのないもの」とゆがめています。そのうえ、法の施行直後から、現職教員全員を対象に、免許更新講習を受講させ、修了認定されなければ、免許を失効させ、失業させるしくみをつくろうとしています。同時に、「知識技能その他の事項を勘案して免許状更新講習を受ける必要がないものと免許管理者が認めた者」は免許更新講習を免除されることになっています。
これは、国家権力のいいなりにならない教員の教壇からの排除をねらうと同時に、排除されたくなければ、行政権力の言いなりになれ、と脅しつけるものであり、断じてゆるせません。
さらに、重大なことは、教育職員免許法改悪と一体に、教育公務員特例法を改悪し、行政権力が「指導不適切」と認定した教員に対し、1年以内の「指導改善研修」を実施し、その終了時に「改善の程度」に関する認定をおこない、認定されなければ免職させる制度を新たに設けるとしていることです。
これは、教員に対し、改悪教育基本法、学校教育法改悪によって、「愛国心」押しつけなどの「指導」を強要し、それに異議をとなえる教員を「指導不適切」の名目で、10年を待たずに教壇から排除する新たな制度づくりです。つまり、教員に失職させられるかもしれないという圧力をかけたうえで、「研修」という名目の洗脳をおこない、国家権力のいいなりの教員づくりをねらうものにほかなりません。
私たちは、教育改悪3法案の中教審答申に対する3月13日付の見解の中で「こうした脅しの体制づくりは、教員を萎縮させ、子どもたちのためにがんばろうとする教員の意欲をそぎ、ひいては教員志望者を激減させる大問題をもつ」と厳しく指摘しましたが、あらためて、そのことを指摘するものです。
しかも、教員の身分については、改悪教育基本法でさえ、「教員については…その身分は尊重され、待遇の適正が期せられる」と述べているものであり、教員免許更新制の導入と、教育公務員特例法の改悪は、改悪教育基本法にさえ背くものであるといわなければなりません。断じてこうした制度の導入は行うべきではない、ということを厳しく指摘するものです。
地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)については、地方教育行政全体を改悪教育基本法で拘束し、地方教育行政に対する国の関与を強めるという大問題です。地教行法改悪法案は、第1条の2に「基本理念」を新設し、そこに「地方公共団体における教育行政は、教育基本法(平成18年法律第120号)の趣旨にのっとり…国との適切な役割分担」として、地教行法全体に、改悪教育基本法の縛りをかけようとしています。
そのうえで、教育委員に対しても「第1条の2に規定する基本理念に即して当該地方公共団体の教育行政の運営が行われるよう意を用いなければならない」として、教育委員をも改悪教育基本法で縛ろうとしています。これは、地方教育行政の自主性、自発性をふみにじり、「地方分権」の流れにも逆行して、地方教育行政を国家権力の支配のもとにおこうとするものです。いま、全国一斉学力テスト押しつけに対て、愛知県犬山市の教育委員会は、地方教育行政の自主性を発揮して、これへの不参加を決定していますが、地教行法改悪法案では、こうした地方教育委員会の自主的判断や、自主的決定をも、地教行法違反とされかねない危険性があります。これは、教育の地方自治という憲法の要請に背反するものであり、重大です。
また、改悪法案は、地方教育委員会への国の「指示」を入れ込み、地方教育委員会への国のコントロールを強めようとしています。改悪法案では、「文部科学大臣は…児童、生徒等の生命又は身体の保護のため、緊急の必要があるときは」という限定つきながら「執行を改めるべきことを指示することができる」という新たな条項を設けています。また、「文部科学大臣は…児童、生徒等の教育を受ける機会が妨げられていることその他の教育を受ける権利が侵害されている」場合、地方自治法による是正要求及び指示ができる、ともしています。
「教育を受ける権利」は、一般的には重要ですが、改悪教育基本法や学校教育法改悪法案によって、「愛国心」に対する「指導」の強要がねらわれているもとで、これに対して、憲法第19条が定める内心の自由の保障に抵触するとして、地方教育行政が、こうした「指導」は行わないという自主的判断を行った場合にも、子どもの「教育を受ける権利」が妨げられているとして、都道府県教育委員会を介することなく、文部科学省から直接是正要求が行われる危険性を持つものです。
このように、地教行法改悪法案は、本来、指導助言関係である国と地方教育行政の関係を指示・命令関係に変質させるという重大問題を持つものといわなければなりません。
また、私立学校に対する教育行政の関与を強めようとしていることも大きな問題です。地教行法改悪法案は、「都道府県知事は…私立学校に関する事務を管理し、及び執行するに当たり、必要と認めるときは、当該都道府県教育委員会に対し…助言又は援助を求めることができる」として、私立学校に対する教育委員会の関与を強めようとしています。これは、改悪教育基本法が第8条に私立学校を位置づけたことをよりどころに、私学の自由を蹂躙し、私立学校も改悪教育基本法でからめとろうとするものにほかなりません。
上述したように、教育改悪3法案は、憲法と教育の条理に背く大問題を持つものであり、教育に対する国家権力による統制を強めることによって、子どもの成長発達をゆがめ、教育をいっそう困難にするものです。教育改悪3法案のねらいは、改悪教育基本法による「戦争する国」の人づくりを具体化するものであり、断じて許せません。
私たちは、憲法改悪を許さぬとりくみ、とりわけ、今国会において改憲手続法の強行をゆるさねとりくみと固く結び、教育改悪3法案の廃案を目指し、父母・国民のみなさんと力を合わせて全力でとりくむものです。