全教常任弁護団は、「全国一斉学力調査」における個人情報保護の問題に関し、見解を発表しました。
見解は、「大規模な個人情報取得に関して、個人情報保護の見地が極めて希薄であることに重大な疑義を感ずる」と述べ、「個人情報保護の見地から今回の実施そのものが再検討されるべきと考える。その際にも、緊急に、まず、個人名を特定した回答方法は直ちに中止させねばならない」としています。
2007年 3月20日 全日本教職員組合 常任弁護団 代表 弁護士 村山 晃、杉井 静子
1 全国いっせい学力調査
「全国学力・学習状況調査」が、07年4月24日に実施される。文科省、都道府県・市町村の教育委員会が実施機関となる。対象は、小学6年生、中学3年生の全員とし、不参加を表明した愛知県犬山市を除く全区市町村で行われる。
文科省によるとこの調査の目的は、次の2点とされる。
① 全国的な義務教育の機会均等と水準向上のための学力学習状況の把握・分析
② 各教育委員会、学校等が全国的な状況との関係で教育の成果と課題を把握
しかしながら、文科省の説明によっても、この全国いっせい学力調査が、区市町村や学校の序列化につながる危険がおおきいことが危惧される。また、説明では、あくまで教育行政上の調査で、個々の生徒・児童の成績評価につながるものではないとされるが、後記するとおり、このままでは、実際上、すべての生徒の序列化が行われることになる危険性が大きいといわなければならない。
2 学力検査の実施
(1)教科テストと質問紙調査で実施される全国調査
今回の調査は、教科テストと質問紙調査で実施される。
教科テストの解答用紙に、「組」「出席番号」「名前」を書かせ、学校ごとにとりまとめる。教科のほかに、「朝食を食べているか」「1日に見るテレビの時間」「家にある本の数」「1週間に塾に通う時間」「家にコンピューターはあるか」「家の人は学校の行事によくくるか」など92項目の「質問紙調査」がなされる。この回答用紙にも、「組」「出席番号」「名前」を書かせ、学校ごとにとりまとめる。
いずれの解答(回答)用紙にも、組・出席番号・氏名が表記され、特定の個人を識別することができる個人情報が、膨大に収集されることとなる。
(2)調査結果の扱い
教科テストの解答用紙と質問紙調査の回答用紙は、ともに学校から受託業者に送付される。このとき、小学校においては、「学校名」「男女」「組」「出席番号」「名前」の個人識別情報は削除されない。中学校においては、「名前」は削除されるものの、個人を特定できる、「組」、「出席番号」は削除されていない。受託業者が、採点・集計を行なって文科省に提出する。また、受託業者が、各教育委員会、学校等に評価結果等を提供するとされている。その結果、児童・生徒の成績や私生活を含む情報は受託業者と文科省に蓄積される。
受託業者は、小学校は、ベネッセコーポレーション(株)、中学校は、NTTデータ㈱である。ベネッセは、「進研ゼミ」等の受験産業で、「学力検査のための予備テスト」を販売している。NTTデータ(株)は、(株)教育測定研究所を「連携機関」としており、この㈱教育測定研究会は、旺文社グループの一員とされている。
3 個人情報保護をめぐる問題
(1)優先される個人情報の保護
個人情報保護について、「個人情報の保護に関する法律」「行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律」等が制定され、この法律に対応する条例が、東京都個人情報の保護に関する条例等、すべての都道府県・区市町村に存在する。
この個人情報保護法制のもとで最も重視されるべきことが、行政機関等個人情報保護法1条に規定される、「個人の権利利益を保護すること」にあることは明白である。
このことにつき、「行政機関等個人情報保護法の解説」(監修 総務省行政管理局)は、「本法の目的である『行政の適正かつ円滑な運営を図りつつ』と『個人の権利利益の保護』とは並列ではなく、『個人の権利利益を保護すること』が一次的ないしは主たる目的である」として、「本法は、このような権利利益の侵害を未然に防止することを目的として立案されたものである」と、「個人の権利利益を保護すること」こそが法律の目的であることを明言している(8、9頁)。
この法の趣旨からみて、学力調査の実施にあたっては、その円滑な運営以上に、生徒、家族の個人情報をいかに保護するかということが優先的に検討されなければならないことになる。
(2)個人情報に該当
行政機関等個人情報保護法は、「個人情報」とは、「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの」(法2条2項)とする。今回の調査では、「学校名」「男女」「組」「出席番号」「名前」の個人識別情報が記載され、調査される事項が、「個人情報」に該当することには疑いがない。中学校の場合、回収にあたって、氏名が削除されるが、組、出席番号で個人が特定されることには変わりがない。
実際に、前掲「行政機関等個人情報保護法の解説」(16頁)によると、個人情報の例示として次のとおり記載されている。
(参考例1)個人に関する情報の具体例
個人に関する情報の一部を例示すれば、次のとおりである。
内心の状況 思想、信教、信条、趣味
心身の状況 体力、健康状況、身体的特徴、病歴
生活、家庭、身分関係、氏名、住所、本籍、家族関係
社会生活活動、学歴、犯罪歴、職業、資格、所属団体、財産額、所得、金融取引関係
この例示からみても、個人情報には、生徒の成績だけでなく、今回実施される92項目にわたる、質問紙調査の事項もまた、該当することとなる。そして、文科省が取得した情報は、「保有個人情報」(法2条3項)となり、その整理された情報は、当然、次のとおり、「個人情報ファイル」(法2条4項)に該当する。
「この法律において「個人情報ファイル」とは、保有個人情報を含む情報の集合物であって、次に掲げるものをいう。
1 一定の事務の目的を達成するために特定の保有個人情報を電子計算機を用いて検索することができるように体系的に構成したもの
2 前号に掲げるもののほか、一定の事務の目的を達成するために氏名、生年月日、その他の記述等により特定の保有個人情報を容易に検索することができるように体系的に構成したもの」
この個人情報ファイルは、「特定の保有個人情報を検索できるように体系的に構成した『個人情報ファイル』は、行政機関にとって利便性の高いものである反面、管理が適切に行われなければ、個人の権利利益を侵害するおそれも高くなる」(前掲書20頁)とされるとおり、体系的に整理された情報として、特段の安全管理が要請されることになる。そのために、行政機関等個人情報保護法は、第3章において、総務大臣への詳細な事前通知等を定めている。
ところが、本件全国調査実施に関わる「平成19年度全国学力・学習状況調査に関する実施要領」によると、この行政機関等の個人情報保護については、不開示情報に関する行政機関の保有する情報の公開に関する法律第5条6号のみが指摘されているだけである。それも、行政機関等個人情報保護法1条からみると、「行政の適正かつ円滑な運営」の観点のことであり、法の本来の目的である「個人の権利利益の保護」という個人情報保護の見地が極めて希薄であることに驚かされる。事実として、この実施要領には、行政機関等個人情報保護法についての記載は存在しない。
(3)学力調査における個人情報取り扱いの問題
a 個人情報の保有制限
行政機関等個人情報保護法は、第3条で、(個人情報の保有制限等)と題して、個人情報を保有するにあたっては、「その利用目的をできる限り特定しなければならない」(1項)こと、そして、「前項の規定により特定された利用の目的の達成に必要な範囲を超えて、個人情報を保有してはならない」(2項)と規定している。同様の規定は、都条例第4条1項が、目的を明確にし、目的を達成するために必要な範囲内で、適法かつ公正な手段により収集しなければならないと定めているところである。本件全国調査との関係で重要なことは、「利用目的」を超えた個人情報の保有そのものが禁止されていることである。
更に、重要なことは、この利用目的による制限について、前掲「行政機関等個人情報保護法の解説」(監修 総務省行政管理局)が、「利用目的の達成に不必要な個人情報の保有は、安全管理上問題であるのみならず、場合によっては誤った利用等がなされるおそれもある。したがって、個人の権利利益を保護する観点から、個人情報が取得される個人の範囲及び個人情報の内容は、利用目的に照らして必要最小限のものでなければならないとしたものである」(24頁)と論述して、禁止にあわせて、個人の範囲と情報の内容双方について、必要最小限の保有という基準を提示していることである。
文科省による、全国調査の目的は、前記したとおり、「全国的な義務教育の機会均等と水準向上のための学力学習状況の把握・分析」、「各教育委員会、学校等が全国的な状況との関係で教育の成果と課題を把握」するということである。この目的からみて、生徒の氏名、出席番号まで記載された個人情報が必要ということにはならないことは当然である。
また、「質問紙調査」による、膨大な生活情報の収集が、この学力調査の目的からみて、正当化されるとは到底思えないところである。更に、果たして、行政機関が、個人のプライバシーに関わる、これらの生活情報を取得することがゆるされるかどうか、そのこと自体が疑問とされる。
生徒・児童の成績評価、教育指導に結びつかない教育行政上の調査で、「組」「出席番号」「名前」を書かせる必要があるかどうか、明らかに私生活におよぶ「質問紙調査」が必要であるかどうか、そしてその調査にまで、「組」「出席番号」「名前」を書かせる必要があるかどうか、それらのことについて、行政機関等個人情報保護法にもとづき、十分なる検証が必要である。
b 個人情報の提供制限
行政機関等個人情報保護法は、第8条で、(利用及び提供の制限)として、「利用目的以外の目的のために、保有個人情報を自ら利用し、又は提供してはならない」(1項)と規定し、都条例第10条1項は、目的を超えた保有個人情報の機関内での利用及び機関外への提供をしてはならないとしている。
「教科に関する調査」と「質問紙調査」の解答(回答)用紙への記載内容は、行政機関としての学校が保有(取得)した個人情報に該当するところ、全国調査では、その個人情報を「組」「出席番号」「名前」を付したまま、民間の営利企業であるベネッセ、NTTデータに提供するとしている。その提供が、本来禁止されている、第三者、機関外への提供にあたることとなる。この民間企業への提供が認められるかどうか、後記するが、仮に認められるとしても、ベネッセなどが行なう「採点・集計」には「組」「出席番号」「名前」は明らかに不要である。これらの個人情報を、個人識別情報を付したままで提供することは、目的外の提供になる。
仮に、「だれが受けたか」を学校が確認するために「組」「出席番号」「名前」が、回答書に必要だとしても、少なくともベネッセなどに「組」「出席番号」「名前」を付したまま送付する理由はまったくないことである。
c 個人情報の安全確保義務
個人情報については、漏えい、滅失、き損の防止その他の適切な管理のために必要な措置を講じる義務が規定(法第6条1項)され、その規定は、行政機関からの受託者へ準用されている(法第6条2項)。都条例では同趣旨が第7条から第9条に規定されている。
ベネッセなどは文科省との関係で受託者となる。そのために、第6条2項が適用される。しかしながら、受験を事業対象としている民間企業が、自己の営利事業にこれらの個人情報を利用しないかどうか、適切な管理が期待できるか、少なくとも、このような委託行為では、全国調査に対する公正さへの信頼は得られないのではないかと考える。
ところで、そもそも、ベネッセ等への提供は、行政機関等個人情報保護法6条2項の規定する受託業者への提供となるとみられる。この委託、受託業務は、「近年、電子計算機処理に係る事務の全部又は一部を民間業者に委託して行うことが少なくない」(33頁)とされるように、情報のコンピューター処理の委託のことを予定している。本件のような、採点、集計、各教育委員会、学校等への情報提供まで委託するなど、行政機関等個人情報保護法が予定していないところである。
更に、情報のコンピューター処理の委託の場合であっても、文科省が策定した、「学校における生徒等に関する個人情報の適正な取り扱いを確保するために事業者が講ずべき措置に関する指針」は、個人データの返却、破棄、削除の実施、複写の禁止、盗用の禁止を規定している。そのことが厳正に実施されるかどうか、十分な検証が必要である。
4 個人情報保護の見地からの再検討
以上、述べてきたとおり、今回の全国学力調査の実施については、個人情報保護の見地が極めて希薄であることを特徴としている。そのことは、実施要領に、重大な個人情報を取り扱うということへの注意が記載されていないことに端的に表れている。これほど、大規模な個人情報取得に関して、個人情報保護の見地が希薄であることに重大な疑義を感ずるところである。
具体的な問題としてみると、解答(回答)用紙への氏名、出席番号等個人を特定する記載は不要である。また、膨大な生活情報となる「質問紙調査」の情報保有が、利用目的として正当とは考えられない。更に、全国調査の実施目的からみても、個人の範囲と情報の内容双方について、必要最小限の保有という基準からみて、全員の調査ではなく、抽出調査に留めることも十分に検討されなければならない。
そして、氏名が特定された、膨大な個人情報、さらに生活情報を民間企業に提供することに重大な危惧を感ずるところである。採点、集計そして、教育委員会、学校等への情報提供作業まで、民間企業に丸投げ的に委託することは、その受託者が受験産業であることとあわせて正当とは思えないところである。
このような疑念は、個別解決ですまされることではなく、個人情報保護の見地から今回の実施そのものが再検討されるべきと考える。その際にも、緊急に、まず、個人名を特定した回答方法は直ちに中止されなければならない。