『クレスコ』

現場から教育を問う教育誌

クレスコ

〈2024年11月号 10月20日発行〉

【特集】ともに歩もう! ジェンダー平等と教育の世界へ

  • 全教共済
専門部

全国青年教職員平和の旅2010(ベルリン)



 12月25日~30日、恒例となった全国青年教職員平和の旅には全国から39名の参加があり、統一20周年となるドイツ・ベルリンを訪れました。



 年末の恒例行事となった「全国青年教職員平和の旅」。自分の目と足で平和を学ぼうと、今年は全国から39名が参加し、統一後20年を迎えたドイツ・ベルリンを訪れました。歴史に暗い影を落とすナチス時代。そして、戦後は分断国家として西と東で違う道を歩み、統一を果たしたドイツで、たくさんのことを感じ、学んできました。
 
 1日目、まず訪れたのはベルナウアー通り。東西ベルリンを隔てた壁がほぼ当時のまま保存されています。その隣には壁を越えようとして犠牲になった人たちの追悼モニュメントがあり、1人ひとりの顔写真も。わずか20年前、この壁が往来だけでなく、多くの人の想いや命さえも断ってきたことを考えさせられました。
 その後、ブランデンブルク門、ユダヤ人の追悼モニュメントである“ホロコースト・メモリアル”、ナチス時代に“焚書”が行われた跡、戦争と暴力支配の犠牲者に対する記憶と追悼の場ノイエ・ヴァッヘなどを訪問。雪のベルリン市内を歩きながら“過去を伝えていく意志”をいたるところに感じました。



 2日目は、東ドイツ時代に市民を監視したシュタージと呼ばれる秘密警察の拘置所跡を見学。政治的理由から逮捕された市民の数は推定で25万人ともいわれています。地下の独房は窓のない狭い部屋に分厚い鉄の扉。一方、シュタージ本部が置かれていた建物の取り調べ室は不思議なほどにごくごく普通のインテリア。この部屋で経験した恐怖が日常生活で甦るための仕掛けだったそうです。案内役を務めていただいたお二人のうち一人は実際にこの拘置所に留置されていた方で、統一後に施設を保存する際には強い反対があったこと、しかし運動で〝記念館化〟を勝ちとったことなども話してくれました。



 午後からは、ホロコースト計画が最終決定されたという〝ヴァンゼー会議記念館〟へ。夜は、現地の学校教員3人をお招きして、ドイツの教育事情や平和教育の実践などをお話いただきました。「初等教育4年間の後に、すぐ職業教育か高等教育か進路決定を強いられるしまう現在の制度は矛盾をかかえている」「教育内容への締めつけは強くないが、大切なのは憲法に反しないこと」という言葉が印象的でした。
 
 3日目には、ベルリン近郊のザクセンハウゼン強制収容所を訪問。首都にもっとも近いとされたこの収容所からは、オリンピックスタジアムの建設現場で強制労働ささせられた人もいたそうです。



 門にある格子状の鉄扉には“ARBEIT MACHT FREI”の文字。三角形の塀に囲まれた収容所の建物は非常に簡素なもので、いかに劣悪な状況におかれていたのかを物語っていました。収容された人たちが最後に送られたという通称station“Z”には焼却場跡も残されており、雪に覆われた静かな収容所跡で、歴史を“過去の現実”として胸に刻んできました。
 
 ここで旅のすべては伝えきれませんが、全国各地からの参加者と知り合ってつながりができるのもこの旅のいいところ。現在2011年の旅企画を計画中です。お楽しみに!
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